パッチワークス活動記録 | 愛媛劇団

愛媛県松山市を中心に演劇活動する劇団です。

吃音ヒーロー感想 悲劇か喜劇かの露悪な問いとマクロス文脈としての劇中劇

吃音ヒーロー感想 悲劇か喜劇かの露悪な問いとマクロス文脈としての劇中劇


こんにちは、パッチワークスの村山です。


先日徳島に劇団まんまる「吃音ヒーロー」を観てきました。


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高知から新しい役者新しいスタッフ、追加されたこと整理されたことなど変化や差分があったことで

自分の中で腑に落ちるところがあったので感想として残そうと思います。


言葉の「情報」は伝わらなくても「伝えようとする」ことはしっかり伝わっている


登場人物の脚本家は吃音であり、言いたいことが表せないこと、そして脚本・文字という形であれば十全に

表せる、とされていてそれを本人も口にするのですが劇中で彼が言いよどんでも周りはその意図をある程度は汲んでいて、

言いたいことが表せないことによる弊害はそう出ていないように見えました。

むしろ本人が「伝えたい」ということはしっかり周りは受け取ろう、「そういう性質の脚本家だから」なにか言いたいんだろうな的な

信頼すらあって、いい劇団じゃないかとすら感じました。


むしろ「劇を王女に観られることによって起きる結果を避ける」ための手紙は【検閲なく/直接手渡せる】状況であるにも関わらず、本題を避け、遠回しかつかえって意図にモヤがかかるような言い方に終始したことで結果が「観る動機づけ」になったことから、脚本家は「文字なら言いたいことが言えている」という認識の歪みすらあったように見えて。


そしてあの劇中に登場する人物たちの行動が

「脚本家が言いたいことを言えなかったからそうなった」と脚本家が考えているようなものに見えて、進行中の物語のところどころに「後悔」の

匂いを感じてました。


これは「終わった出来事を物語にして上演している」ものだと僕は捉えています。


脚本家のキツオが過去にあったこと、終わった出来事を「演劇」というパッケージに再編して、自身の後悔や周りに起こったことを「わかりやすく」言い換えて、自身の行動の後悔を「悲劇か喜劇か」と問いに言い換える「演劇の欺瞞」を使って自身の過去を整理のつかない心の葛藤を観客になすりつける、ある種の露悪性、そのための処刑や街の人を記号化することもいとわない割り切り、あれは劇中劇として脚本家キツオのひとり語りだと感じています。


アニメのマクロスシリーズは劇中劇として描かれています。

過去にあった出来事、戦争を「物語」として上演している、という設定です。


都合の悪いところは「そういうもの」で流し、物語として使いやすいところは強調され何度も使われます。

最前線で歌姫が歌わず、後方でガチガチに固められたシェルターの中で歌い、相手には

スピーカーミサイルをブチ込んで強制的に聞かせる戦術的な使われ方をしてたとしても、「物語の要請」として歌姫は最前線で歌うように。


キツオの自身の問いを演劇として観客に強いる、ある種の暴力性すら、そして自身の葛藤を共通の問いに見せかけて自分の整理のつかない思いを観客と共有させ、自身の孤独を癒やす、そんな寂しいキツオの姿が見えるような気がしました。


そしてそういう欺瞞を自覚しながら孤独に耐えきれず、表現で「問いと後悔」でつながろうとする寂しい人間くさいキツオがいいと感じました。


そういう意味で「生きることは心が未来を目指すことだ!」に対し、その瞬間キツオが言い返せなかったんだろうなと想像してます。

その瞬間、そのときにその言葉に対し答えられなかった後悔を演劇の場で言い返しているんだとしたら、すげー友達になれると思います。

考えて考えて考えてそれに対して出てきた自分の答えが「生きることは生きることだ」というトートロジーが出てくるあたり、

吃音だから、言いたいことが言えないという「自分の中の理由付け」すら自分で欺瞞だと薄々気づいてたんだろうなとか。

書いても言いたいことも表せず伝えたいことも伝わらないということとか。


「分かりあえない」ことに要因はあっても主因にはならない、「伝わってしまうこと」で相手をどうやっても許せないとわかることすらある、

だとしたら「問い」だけは共有できるんじゃないか、それが「これは悲劇か喜劇か」、その問いを自分で消化できないキツオの弱さが好ましいと思います。その問いのために登場人物を芥のように使うことすら厭わないキツオの割り切り方が大好きです。


消化器呼吸器にダイレクトに作用する疾患に対し、一番苦しむ方法で、実際はのたうつ王女を民衆がサーカスとして消費したフランス革命のようにおぞましいものだったかもしれない、それを演劇として「きれいな死」にパッケージして提示するキツオの罪悪感と欺瞞と人間的弱さ、露悪的とすら見えるラストあたり、とっても「人間」を感じる話だと捉えています。


やりたいことやらずにはいられないこと、をそれぞれの場所で続けるしかないんだろうと思います。

そしてそこから、があることくらい信じられるんじゃないかと思います。


劇団まんまるの皆様、がんばりましょう、がんばります、がんばっていきましょう。


パッチワークス主宰 村山公一